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Kota Omura

私の研究:1920年代ドイツの視覚文化

私は大学に進学するときドイツ文学科を選びましたので,日本語に加えてドイツ語の,時にはさらに様々な言語の,色々な本に触れる機会に恵まれました。すると,その内容もさることながら,本という物それ自体が気になってきました。それらの本や印刷物を作った人の,またそれに触れた人の残した言葉をたどって,なぜそうデザインしたのか,その結果をどう思ったのか,特に1920年代のドイツを出発点にして考えることが私の研究テーマです。

文字に囲まれて

今,私たちの身の周りには文字があふれています。家の中で少し手を伸ばせば本や新聞,チラシに手が触れ,外に出て周囲を見れば看板やポスターに目が留まります。「活字離れ」が指摘されるようになって久しいですが,テレビをつけても画面には大抵テロップと呼ばれる文字が書き加えられていますし,さらにスマートフォンをはじめとした電子機器を使ってやりとりされる,Webサイトや電子メール,SNSの情報の多くが文字であることを思えば,むしろこれほど多くの人が長い時間文字に触れている時代はかつてなかったかも知れません。

私たちは幼い頃から文字を読む訓練を受けて育ちます。一文字ずつ声に置き換えながら文字を読んでいる幼児を見ると,きっと自分もこうして文字を覚えてきたのだろう,と誰しも思うのではないでしょうか。ですが,その訓練をある程度経てきた今,文字を読む自分を改めて考えてみると,よほど読みづらくない限りは,文字をひとつひとつ追っているわけではなく,ある程度まとめて眺めるだけで「読んで」しまえているようです。また,商品のパッケージや広告を見ると,ロゴタイプとして図案化された商品名が書かれて(あるいは描かれて)いて,商品名だけでなく商品のイメージも一緒に伝えようとしています。文字は,言葉を単純に運ぶだけの,無色透明な入れ物というわけではないようです。

「読む」と「見る」の間で

【図1】デール『りんご』(1965)

「読む」という行為の中にある「見る」という行為を意識すること,あるいはただ「読む」だけのものと思われがちな文字,特に活字の,「見る」側面に着目すること自体は,そう最近に始まったものではありません。例えばドイツには,16世紀から18世紀にかけて葬儀の際作られた,弔いの言葉を十字架などの形をかたどって並べた印刷物が残っています。それらは,20世紀半ばの「具体詩」(コンクリート・ポエトリー【図1】)を先取りしているようにも見えます。近代の,誰の手になるものか分かっている例としては,フランスの詩人ステファヌ・マラルメ(1842~1898)の『骰子一擲』(1897【図2】)が,その比較的早い時期のひとつでしょう。行を途中で送ったり,時にはさらに左に戻したりすることで,詩に,ただ言葉を連ねただけでは表現しきれないイメージを視覚的に加えようとしています。

【図2】マラルメ『骰子一擲』(1897)部分

1910年代になると,イタリアの未来派(【図3】)やスイス,フランス,ドイツのダダイズム(【図4】)の詩人,芸術家たちが,縦や斜めに活字を並べ,また極端にサイズやスタイルの違う活字を組み合わせるなどして,視覚的なインパクトを狙った印刷物を作っています。

視覚的なインパクトを狙った,ということは,いかに人目を惹き,見た人にメッセージを強く印象づけられるか,ということを意識して印刷物を作った,ということです。そこから,情報伝達の手段としての効果を念頭に,印刷物は視覚表現(グラフィック)としてどうデザインされるべきか,考え直されるようになりました。

【図3】マリネッティ『未来派の解放された言葉』(1919)表紙

【図4】ツァラ『あごひげの生えた心臓』上演ポスター(1923)

それが1920年代,第一次世界大戦後の経済復興を背景にした商業広告(【図5】)や,ソビエト連邦という当時まったく新しい体制の国が作られる過程での政治宣伝(【図6】)を通じて,さらに洗練されてゆきます。特にドイツでは,当時の美術学校「バウハウス」とその周辺に集った人々をはじめとするグラフィックデザイナーたちが,こうしたデザインの構想や技法を理論として書き遺したために,それが広く知られることになりました。

【図5】映画『ズボン』ポスター(チヒョルト,1927)

【図6】チューリヒ工芸美術館『ソ連・ロシア展』ポスター(リシツキー,1929)

ニュー・タイポグラフィ

当時のそれらの理論の集大成が,ドイツのグラフィックデザイナーであるヤン・チヒョルト(1902~1974)の『ニュー・タイポグラフィ』(1928)という本です。タイポグラフィとは,主に活字を使って印刷物をデザインすることです。この本によって,ここまでの一連のムーブメントが(単に新しいタイポグラフィという意味ではなく)「ニュー・タイポグラフィ」という固有の名前を持つに至った――と,当時ほぼリアルタイムでこのニュー・タイポグラフィを研究し,その後20世紀中葉の日本のグラフィックデザインに大きな足跡を残した原弘(1903~1986)は評しています。

ニュー・タイポグラフィの構想の根本は,印刷物は情報伝達の手段として合理的にデザインされなければならない,ということです。そこから,具体的なデザインの方法論が展開されてゆきます。とはいえ,そもそもなぜ印刷物が情報伝達の手段として合理的にできていなければならないのでしょうか? チヒョルトの答えはこうです。「今日,印刷物の消費者[である私たち]が印刷物を消化しなければならないスピード。読むというプロセスに最高の経済性を強いる,限られた時間。それが,今日の生活条件に[印刷物の]『形式』が適合することを,否応なく要求するのです。」

「印刷物」を「情報」にでも置き替えれば,この本の刊行から90年を経ようとしている現在でも,IT企業のテレビCMで聞こえてきそうな話です。押し寄せる大量の情報に人間が追われる社会,というイメージを,早くも1920年代の人が当時の社会に対して抱いていたことがわかります。

1920年代のドイツは「情報化社会」?

「情報化社会」という言葉があります。情報化した社会とはこういうものだ,社会の情報化に適応すべし,とこれまで多くの人が議論を重ねてきました。ところが,そもそも「情報化社会」とは何だろうか? ――というと,論ずる人によってまちまちで,一意に定義されているわけではありません。ひとつ言えることは,そうして情報化社会を語る誰もが,自分たちの生きている社会は情報化社会だ,あるいは,情報化社会になろうとしている,と考えている点では同じだということです。

後の情報化社会論者が主に電気通信を念頭に置いているのに対してこちらは印刷物だという違いはありますが,大量の情報が流通し,かつその情報が無視では済まされない価値を持つ社会に自分は生きている,と考えるチヒョルトは,その意味で情報化社会論者に違いありません。ニュー・タイポグラフィは,1920年代のドイツという「情報化社会」を背景にした,グラフィックデザインの,さらに言えば視覚コミュニケーションの理論だったのです。

異なるメディアが出会うとき

1920年代,ドイツでは映画が活況を呈し,またラジオの商業放送が始まりました。繁華街がネオンサインに彩られるようになったのもこの時期です。長らくヨーロッパの社会で情報メディアの主役を担ってきた印刷物が,初めて人々の日常の中でそれら新たなメディアと共存する時代になりました。印刷物はそこで,主役をただ新たなメディアに譲るのではなく,それをきっかけに自ら変化を遂げた,と言えるでしょう。

その後,テレビが普及し,コンピューターが普及しましたが,かつてほどではないとしてもなお印刷物が主要なメディアのひとつであることは,今私たちの知るとおりです。しかしこの10年に満たない間にも,例えばWebサイトのデザインは単なる流行に留まらない変化を見せています。その小さからぬ一因はスマートフォンの普及でしょう。そしてつぶさに見れば,印刷物のほうにもそうした電子機器の登場の影響を見つけることができると思います。互いに取り込まれたり影響を受けたりしながら,いろいろなメディアがそれぞれメディアとしての存在意義を見つけ出してゆく様子が,これからも人々の残す言葉の中に浮かび上がってくることでしょう。

参考文献

  • László Moholy-Nagy: Die neue Typographie. In: Staatliches Bauhaus in Weimar, Karl Nierendorf (Hrsg.): Staatliches Bauhaus Weimar 1919–1923. München: Kraus, 1980 (初版はMünchen: Bauhausverlag, 1923). p. 141.
  • Jan Tschichold: Die Neue Typographie. Ein Handbuch für Zeitgemäß Schaffende. Berlin: Brinkmann & Bose, 1987 (初版はMünchen: Bildungsverband der Deutschen Buchdrucker, 1928).
  • 原弘「ヤン・チヒョルト――ニュー・タイポグラフィ」,勝見勝編『現代デザイン理論のエッセンス――歴史的展望と今日の課題』増補版,ぺりかん社:1969,123~151頁。

図版出典

  • 【図1】Eugen Gomringer (Hrsg.): konkrete poesie. deutschsprachige autoren. Stuttgart: Reclam, 1972, p. 38.
  • 【図2】ステファヌ・マラルメ,フランソワーズ・モレル(柏倉康夫訳)『賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう――フランソワーズ・モレルによる出版と考察』,大津:行路社,2009,22~23頁。
  • 【図3】寺山祐策『エル・リシツキー――構成者のヴィジョン』,武蔵野:武蔵野美術大学出版局,2005,127頁。
  • 【図4】Herbert Spencer: Pioneers of modern typography. Reviced Edition. Cambridge: MIT Press, 2004, p. 29.
  • 【図5】Martijn F. Le Coultre, Alston W. Purvis: Jan Tschichold. Plakate der Avantgarde. Basel: Birkhaeuser, 2007, p. 173.
  • 【図6】多摩美術大学ポスター共同研究会『構成的ポスターの研究――バウハウスからスイス派の巨匠へ』,中央公論美術出版,2011,93頁。