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Minako Kono

私の研究:フランスと東南アジア

はじめに

わたしがフランスと東南アジアについて興味を持ったきっかけは、16歳の時に行ったカンボジア旅行でした。1996年当時のカンボジアは、長く続いた内戦が終わりを迎え、これから国を立て直そうする人々の活気にあふれていました。ただアンコールワットが見たいとの思いからやってきたわたしはその力に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。賑わいを見せる街中で、いくつかのヨーロッパ様式の建物を目にしました。オートバイや車のクラクションが盛大に鳴り響くなか、それらの建物は役目を終えたかのようにただそこにあるという雰囲気で存在していました。わたしがそこに感じたのは違和感でした。かつてカンボジア、ベトナムそしてラオスがフランスの植民地であり、仏領インドシナと呼ばれていたことは知っていました。しかしいざ確かな証拠を目の当たりにすると、仏領インドシナとはどのような世界だったのだろうかという思いが湧きました。

以下はその疑問に文学的アプローチをするために専門とした、フランス人作家マルグリット・デュラス(1914-1996)の研究と教育講師となって新たに始めた研究についてお話ししていきたいと思います。

I. マルグリット・デュラスと仏領インドシナ

仏領インドシナについて書いたフランス人作家といえば『アンコール詣で』(1912)を書いたピエール・ロティ(1850-1923)や『王道』(1930)のアンドレ・マルロー(1901-1976)が有名ですが、どちらの作家もフランスから見たインドシナを描いています。そのなかでインドシナ生まれの作家であるマルグリット・デュラスは稀有な存在であるといえるでしょう。

マルグリット・デュラスは1914年に仏領インドシナであったベトナムのサイゴン(現在のホーチミン・シティ)の近郊ザーディンで生まれました。両親はともに教育者で、当時のフランスが掲げた植民地を「文明化」するという使命のもと、そしてより良い生活をするためにフランスから渡ってきました。デュラスが生まれてから数年間は、カンボジアの現地人学校の校長であった父のもと、一家は安定した生活を送っていました。しかし彼女が7歳のとき事態は一変しました。父親が長年患っていた病が原因で療養先のフランスで亡くなってしまったのです。そこからデュラス一家の困窮が始まりました。彼女の母親はカンボジアのプレイノップに土地を購入し、穀物を育て一家の収入にしようとしましたが、土地管理局に賄賂を渡さなかった母親にあてがわれた土地は満潮になると近くの川から塩水があがってくる耕作不能地だったのです。母親は借金をして防波堤を建設しますが、勢いよくあがってくる水にいつも壊されてしまいました。そこから母親は次第に狂気に陥っていくのです。

この経験は幼いデュラスに暗い影を落としました。デュラスが初の自伝的作品『太平洋の防波堤』(1950)で描いたのはまさにこの母親の悲劇なのです。

デュラスは14歳の時にサイゴンの高校に入学し、そこから寄宿舎生活を始めます。そしてこのサイゴンで華僑の青年と出会いました。この愛の物語をもとにして書いたのが、世界的ベストセラーになった『愛人』(1984)です。

19歳の時にフランスの大学へ進学するため、デュラスはインドシナの地を後にし、以降一度も戻ることはありませんでした。1943年に処女作『あつかましき人々』を発表してからデュラスは小説のみならず戯曲の脚本、映画のシナリオ、さらに映画を自ら作るなど彼女の創作は多岐に渡りました。作家活動だけではなく第二次世界大戦下ではレジスタンスに加わって活動したり、共産党に入党したり、5月革命のときには他の作家たちと集会を行ったりと、発言する作家として知られていました。そして1996年パリのサン=ジェルマン=デ=プレの自宅にてその生涯を閉じました。このように波乱に満ちた生涯を送ったデュラスですが、生涯を通じてインドシナに対しては独特の態度を取っていました。フランスへ帰ってから彼女は作品以外でインドシナについてほとんど言及することはありませんでした。もちろん自身の生い立ちについて語ることはありましたが、そこにはどこか歯切れの悪さがありました。またデュラス研究においてもインドシナはデュラスの生まれた地であるという以上の指摘はなされず、深く掘り下げる研究は多くはありませんでした。だからこそ、デュラスにとってインドシナはなんだったのかという疑問がわたしの研究の基盤にあります。フランス人でありながら経済的困窮により、現地人とほぼ同じ生活を送ったデュラスにとってインドシナは一言では語ることのできない場所であったと思います。

次にインドシナに向けられた彼女の揺れ動く眼差しを明らかにするために取り組んだ博士論文で重点的に扱った『フランス植民地帝国』とデュラス作品に象徴的に登場する女乞食1についてお話ししたいと思います。

Marguerite Duras, 1955
© Studio Lipnitzki / Roger-Viollet
Photogravure Couleurs d’image.

『愛人』表紙、マルグリット・デュラス著、清水徹訳、河出書房新社、1985年。

II. 『フランス植民地帝国』とデュラス

1940年5月に出版された『フランス植民地帝国』は、デュラスが本名、マルグリット・ドナデューの名で植民地省に勤めていた時に、上司フィリップ・ロックとともに書いたフランス植民地紹介本です。1940年の5月3日から24日までシャンゼリゼのグラン・パレで開催された「第二回フランス植民地サロン」と連動する形で製作された本書は、フランスの植民地拡大の歴史とともにアフリカからインド洋の島々そしてインドシナが紹介されています。

デュラスにとって最初の書物であるにもかかわらず、『フランス植民地帝国』は長い間デュラスの著作とはみなされてきませんでした。それはこの本はデュラスが作家になる前の一公務員として書いたものであり、さらにその後のデュラス作品に見られる植民地主義批判とは正反対の性質をもっていたためです。そのため本書はデュラス本人にとっても、デュラス作品の読者にとっても都合の悪い書物だったのです。本書の作成もデュラスにとって不本意であったことは想像に難くありません。確かにプロパガンダ的書物と文学作品を同列に論じることは難しいです。しかし、デュラスは一つのテーマから何度も作品を書き換え、時代とともに変化する作家であることを考えると、『フランス植民地帝国』もデュラスの文学作品と無関係であると切り離すことができるでしょうか。

『フランス植民地帝国』表紙、フィッリップ・ロック、マルグリット・ドナデュー著、ガリマール社、1940年。

実際に本書は非常に事務的な文章であるにもかかわらず、デュラスの意図とも捉えられる表現が書き込まれているのです。沿岸の耕作地について以下のように書かれています。

河の表面から数センチメートルにある海の塩は、生育途中の稲の根に入り、すぐに痛めてしまう。しかし、ほとんど海から離れていないこの土地でも、年々耕作可能となっている。数百年を経れば・・・・・・・、それらの土地も完全に耕作可能な土地になるだろう。
(『フランス植民地帝国』, p. 108, 傍点筆者.)

フランスの植民地の偉大さを示さなければならないにもかかわらず、数百年という不可能に近い表現を書き込んでいることから、著者の耕作地への皮肉を読み取ることができるでしょう。ここで思い起こされるのは、デュラスの母親の耕作不能地での悲劇です。本国と現地に住む人々との認識の違いを知っているデュラスは、耕作地に対しては真実を書き込みたかったのかもしれません。

このように植民地の裏側を書き込む試みも見られますが、もう一つ特質すべきことは、インドシナの自然と文化の豊かさが詳細に記されていることです。とくにメコン川に関する記述では単に長さや幅だけではなく、メコン川を現地の住民が「水の王」と呼んでいたり、秋になると発生するメコン川の水の流れの変化を祝いプノンペンでは毎年祭りが行われているなど、他の植民地の記述と比べても倍以上のボリュームで書かれていることからも作者のインドシナへの思いをうかがわせます。

たとえ、行政の指導のもと作成された書物であっても、「書かずにはいられなかった」デュラスの思いを読み取ることができるでしょう。そしてデュラスもまた後年になって『フランス植民地帝国』を書き直す可能性を示唆していました。次にデュラスのインドシナを結晶化して描いたとされる女乞食についてお話ししたいと思います。

III. デュラス作品を横断する女乞食

デュラスの自伝的作品には一貫して植民地批判的な眼差しがあります。ですが、現実においては彼女がインドシナに関してあまり積極的に発言しなかったのは、裕福なフランス人とは立場は違えども彼女も宗主国側の人間であったという幼少期の体験が原因にあるのかもしれません。

しかし、作品の中では別の角度からのデュラスによるインドシナへの眼差しを読み取ることができます。その一つがデュラスの作品間を横断して登場する女乞食です。

彼女はデュラスが幼い時に出会った女性がモデルだと考えられています。その女性は学校の教師をしていたデュラスの母親に自身の幼子を預けようとやって来ました。子供は病気のため亡くなってしまうのですが、幼いデュラスにとってその出来事は強い印象を残しました。防波堤の失敗によって次第に狂気に囚われていく母親と自分をその親子と重ね合わせたとも考えられます。このような辛い記憶から誕生した女乞食ではありますが、デュラスが彼女に託したのはインドシナの自然のダイナミズムでした。架空の植民地インドのカルカッタを舞台にした『ラホールの副領事』(1966)では、女乞食は見知らぬ男の子供を宿したということで、生まれ故郷のカンボジアのバッタンバンを追われます。彼女は親戚を頼ろうと親戚の住む「鳥平原」を目指し北へ向かうのですが、いつしか南下し、カンボジアの南に位置するウドン、プノンペンを経由し国境を越え、ベトナム南部のヴィンロンにまでやって来ます。そして10年後彼女はカルカッタの路上で眠る姿が見出されるのです。彼女はこのインドシナの大陸を横断するという途方もない踏破を裸足によって成し遂げたとされています。この不可能に近い女乞食の歩みはその小さな体から途方もないエネルギーと拡がりを私たちに見せます。そうしたエネルギーを秘めた存在にデュラスの目に映ったインドシナを象徴させているのです。デュラスも両親の仕事の都合で、サイゴンからハノイそしてプノンペンと移動していました。その時幼い少女の目に映ったのは、圧倒的な自然と文化や宗教の異なった人々の営みだったのです。そしてその全ての要素を詰め込んで生まれたのが女乞食だったと言えるでしょう。

1954年インドシナはフランスから独立しましたが、ベトナム、カンボジア、ラオスは続くベトナム戦争を契機とした動乱によって混迷していきます。デュラスはのちに「自分の故郷はなくなってしまった」と語っています。植民地という異質な場所において、フランス人でありながら、現地人に近い生活をしていた彼女のインドシナへのアンヴィヴァレントな眼差しが彼女の作品を通して読み取れるでしょう。

IV. 今後の研究

以上のように博士論文ではインドシナを舞台にした自伝的作品であるインドシナ連作について論じましたが、デュラスのインドシナ表象は単に自伝的作品だけには止まりません。女乞食のようにさまざまな作品間を横断する人物たちを追って、私も作品を横断していきたいと思います。デュラスの出版された本は計65冊、短いテクストを入れると膨大な量です。今後は自伝的作品以外の作品におけるインドシナやアジア表象を研究していきたいと思います。

さらに、インドシナ研究では、デュラスのようなインドシナ生まれのフランス人の視点に加え、もう一つの別の視点が必要です。それは現地の人々の視点です。インドシナ時代に現地の人々が何を考え、フランスに、インドシナに対して何をしようとしたのかを文学を通してアプローチしていきたいと思います。このテーマに関しては2017年度から科学研究費の助成を受けて研究を始めています。今は、ベトナム初の日刊新聞を作ったグエン・ヴァン・ヴィン(1882-1936)について研究を進めています。彼は新聞のなかでアレクサンドル・デュマ(1802-1870)の『三銃士』(1844)をベトナム語に翻訳し、連載するなどベトナムにおけるフランス文学受容に大いに貢献した人です。それに並行して、カナダのケベックにおける先住民文学を研究しています。お互いの文化を認めるだけではなく、文化間の積極的な交流を通して新しい文化を作り上げようとする間文化主義を掲げるケベックにおいて、先住民の文化は近年まで周縁に置かれていました。しかし、イヌー出身の作家ジョゼフィーヌ・バコン(1947- )や若手のナオミ・フォンテーヌ(1987- )の活躍により、ケベックの先住民文化は今勢いのある文学作品の一つになっています。昨年から彼女たちを研究するとともに、異文化コミュニケーション学部の小倉和子先生と北方の世界に関する論文『北方の想像界とは何か?倫理上の原則』(2019)を共訳しました。世界の北方ネットワークを構築するうえで非常に重要な論文で、すでに15言語に翻訳されています。

『中北新聞』第2号、1915年1月14日発行、ベトナム国立社会科学図書館所蔵、撮影筆者。

Design : André Cândido
Photos : Imaginaire | Nord © 2019

参考文献

  • Daniel Chartier, Qu’est-ce que l’imaginaire du Nord? : principes éthiques, Rovaniemi, Arctic Arts Summit / Montréal, Imaginaire | Nord, 2018. 『北方の想像界とは何か?理論上の原則』ダニエル・シャルティエ著 小倉和子・河野美奈子訳、Rovaniemi, Arctic Arts Summit / Montréal, Imaginaire | Nord, 2019.
  • Marguerite Duras, Un barrage contre le Pacifique, Gallimard, 1950. 『太平洋の防波堤』マルグリット・デュラス著 田中倫郎訳,河出書房新社,1973年;1992年;2008年/集英社1979 年.
  • ―Le Vice-consul, Gallimard, 1966. 『ラホールの副領事』マルグリット・デュラス著 三輪秀彦訳,集英社,1969年;1973 年.
  • ―L'Amant, Minuit, 1984. 『愛人』マルグリット・デュラス著 清水徹訳,河出書房新社,1985年;1992年.
  • ―L'Amant de la Chine du Nord, Gallimard, 1991. 『北の愛人』マルグリット・デュラス著 清水徹訳,河出書房新社, 1992年/1996年.
  • Philippe Roques et Marguerite Donnadieu, L’Empire français, Gallimard, 1940.
  • Jean Vallier, C’était Marguerite Duras, Tome I, Fayard, 2006.
  • Jean Vallier, Jean, C’était Marguerite Duras, Tome II, Fayard, 2010.

1「女乞食」という表現は、デュラス作品の訳語およびデュラス研究において定着しており、デュラスの作品内でも「女乞食« mendiante »」は差別的意図なく使用されています。そのために本文章上でもこの言葉を使用します。